この記事でわかること
・おもちのことが分かります。(笑)
・どのようにしてパチンコ依存症が作られていくのかがわかります。
プロフィール
おもち。
と言います。
よろしくお願いします。
生息地:車が一日に5台通れば多い方のド田舎に住んでいます。
仕事:介護士(マジでこの職種おススメしません)
年収:420万程度
結婚:既婚です。
子供:2人
注意点:若干鬱病気味です。パチンコ依存症です。
最終学歴:専門学校(高校卒業後に入学)
趣味:ダーツ、銭湯・温泉巡り、アニメ・漫画鑑賞、ブログ、(パチンコ)←現在禁パチ継続中
パチンコ歴:17年
ダーツ歴:2年
ブログ:始めたばかり
好きなアニメ:シュタインズ・ゲート
貯金:ないよ!助けて!(笑)
よろしくお願いします。
パチンコ依存症になるまで
まずは
どうパチンコ依存症になっていったかを話そうかな。
あっ!
知りたい!
待って!
鬱病⁉
どの辺が!!
ん~
じゃあそこも含めて話していくね。
- 10歳頃 初めてパチンコ屋に入る
- 18歳 初めて自分でパチンコに行く
- 18歳 パチンコを面白いと感じる
- 19歳・20歳 パチンコ依存症だと自覚する
- 21歳 鬱病になり、パチンコに逃げる
- 30歳 結婚・第一子誕生
- 32歳 第二子誕生
- 33歳 ダーツにハマる
- 34歳 パチンコをやめる
- *パチンコ依存症と気が付いた時から
何度もやめようとはしていましたが
ずっとスリップを繰り返していました。
パチンコとの出会い
初めてパチンコ屋に入ったのは確か小学4年生か5年生の頃です。
今では信じられないかもしれませんが
その頃は子供を連れてパチンコ屋に入っても何も言われませんでした。
ちなみに
今子供がパチンコ屋に入ると
めちゃめちゃ怒られるし下手したら捕まるよ。
駐車場の車の中に子供を放置するのが問題になってたけど
昔は普通にやってる人がいたのかなぁ。
その日は小学校の集まりでボーリング大会があり
子供のみの参加だったので
その間に父親がパチンコに行っていました。
その時父親は当たっていた様子で
ボーリング大会が終わり僕を迎えに来た後
そのままパチンコ屋に僕を連れて行きました。
おそらく確変が終わっておらず休憩して迎えにきたのでしょう。
その時の出来事は何故か今も鮮明に思い出せます。
初めてパチンコ屋に入った時
不思議と大きい音だとは感じた記憶はありません。
父親が台に座ると
店員の女の人が笑顔で僕が座る椅子を出してくれたことを覚えています。
当時の店員さんからしたら普通のことだったのかなあ。
法律違反だったとは思うんだけど
かなり緩かったんだろうね。
その時に父親が打っていたのは
海物語か、ギンギラパラダイスのどちらかだったのを覚えています。
海シリーズだったことだけはなぜか明確に覚えています。
その時は確か3連チャン程し
確変が終了したら即やめしていました。
僕の父親は時々パチンコに行くことがあり
勝った時は外食に連れて行ってくれていたのを覚えています。
当時
父親はパチンコに依存することはなく気晴らし程度に行っていたのを記憶しています。
上手に付き合う分にはいい趣味だからね。
たまにしか行かなくて
勝って帰ってきたら外食に行けるなら、
子供からしたら悪いイメージないよね。
初めて自分でパチンコに行く
自分で初めてパチンコ屋に足を運んだのは高校卒業後
介護の専門学校に通う為
一人暮らしを始めて暫くした頃でした。
日中介護施設で臨時職員で仕事をし
夜から学校に行く生活で
時間に追われる毎日で最初の頃は余裕がなく
遊びに使う時間もなかったのですが
人間不思議なもので
3か月もすれば慣れてきて暇な時間ができてきました。
その暇な時間を使って
今まで楽しいと思っていたゲームなどをしてみたのですが
なぜかどうも集中できず
すぐに”もういいか”となってしまい
今まで楽しいと思っていたことが
楽しいと思えなくなっていることに気が付きました。
忙しくなると
今まで今潰しにやって事が
楽しくなくなるのってなんでなんだろうね。
時間と心に余裕があったから
楽しいと感じてたのかもしれないね。
そんな時
ふとパチンコ屋が目に入り
何の気なしにちょっとやってみようかな?
と思い店に入ったのを覚えています。
初めて入ったパチンコ屋はスロット専門店で
お世辞にも流行っているとは言えないようなお店で
その時入っていたお客も5人程度だったと思います。
BGMも静かなお店で
打っている人の台の音や台のリール音が鮮明に聞こえていました。
知識ゼロでどれを打ったらいいのか分からなかったのですが
何故かジャグラーに座ったのを覚えています。
台に座り右上を見ると千円と書かれた所があり
そこにお金を入れればいい事はすぐに分かりました。
1,000円を入れるとメダルが出てきます。
この時思ったことは鮮明に覚えています。
すくなっ!!
です。
千円で50枚
これまでゲームセンターにもあまり行ったことのなかった自分からしたらあまりの少なさにびっくりしました。
50枚ってことは
50回遊べるの?。
1回まわすのに3枚メダルがいるから
最低で16回転かな。
すっくな!
それでもメダルを出したからにはプレイしてみようとスロットを回しましたが
50枚のメダルが5分もしない内に無くなり
え?もう終わり?となりました。
せっかく初めて入ったので
これで帰っては楽しみなんて全く分かるはずがないと思い
もう千円入れました。
ですがまた5分もしない内にメダルがなくなります。
なんだこれ
こんなの何が面白いんだ?。
当たる気がしないし
とんでもないスピードでお金が無くなる。
怖いしお金がもったいないわ。
これが初めてのパチンコでの感想で
この日はこの2000円ですぐやめて家に帰りました。
今思うとこれが正常な思考だと思います。
金銭感覚は一度狂ってしまうと元には戻らないと身をもって知りました。
今ではパチンコをやめていても千円50枚が高いとは思えなくなっているのですから。
パチンコを面白いと感じた日
前回はまったく楽しさを感じることができなかったので
もう一度行ってみようと思い立ち
近くのパチンコ屋に行くことにしました。
次に入ったパチンコ屋は前回行ったパチンコ屋とは違い
そこそこお客さんがいました。
前回と同じくジャグラーに座り千円を入れます。
すると前回とは違い
すぐにGOGOランプ(このランプが光ったら当り)が光りました。
スロットの台にランプが光ると当りと書いてあった為すぐに当たったと分かり
どうしていいのか分からないでいると
隣で打っていたおばあさんの台もランプが光り
そのおばあさんが店員さんを呼びました。
店員さんが来て7を揃えたのを見て
あぁ
光ったら7を揃えればいいのかと何となく理解しました。
そこから自分も7を揃えます。
するとどんどんメダルが増えていきます。
なるほど。
こうやって増やすのか。
そう思い次の当たりを目指す為リールを回していると
直ぐにまたランプが光りました。
そしてその後もまたすぐに。
あっという間に箱にメダルが入らなくなり
後ろに積まれて行きます。
今思うと
この台壊れていたのか遠隔でもしてビギナーズラックを体験させに来たのではないか?
と思うほど連続で当たりました。
ジャグラーを打つ人ならわかると思うのですが
本来こんな当たり方をする台ではないのです。
その時は時間にして1時間半ほどで4千枚オーバーしたのです。
設定を認識している今なら絶対にやめないでしょうが、
その時は「そろそろ帰ろうかな?。」
と思いやめたのです。
換金すると8万円越えです。
は!?。
こんなにもらえるの!?。
この時に金銭感覚がぶっ壊れたのではないかと思います。
大勝ちだね。
1時間半で8万円超え!?
そりゃ金銭感覚狂うよ。
それまでは千円は大金とまでは行かなくても
それなりの物が帰る金額だと思っていました。
この時からその考えは変わってしまい
千円で50枚のメダルは高いと思わなくなりました。
日常生活でも千円程度では何も買えない
と思うようになりました。
少しずつ元に戻ってきた自覚はありますが
この金銭感覚は完全には今も治っていません。
一度金銭感覚が壊れると
金銭感覚を取り戻す事はできないと思っています。
そしてこの時パチンコの楽しさを知ってしまったのです。
パチンコを知らなかったら
今頃どんな生活になってたかなんか想像もできないよ。
パチンコ依存症の自覚
自分自身でパチンコ依存症になっていると気が付いたのは
パチンコを初めて1年ほど経った頃です。
その頃には最初はジャグラーしか打っていなかったのですが
他の機種も打つようになっており
4号機の押忍番長や北斗の拳SEをよく打っていました。
パチンコに行く頻度もほぼ毎日になり
暇があれば行っていました。
そんな生活をしているとお金が足りなくなるのは当たり前です。
その頃に起きた自分がパチンコ依存症だと気が付いた出来事があります。
当時、銀行からお金を下ろす際カードでおろしており
通帳記入をしていませんでした。
通帳記入をしていない回数が一定以上超えると
次回記入時に一括記入になる事を知らせる手紙が届くのですが
その手紙が実家に届いてしまい
親に出金だらけの現状を知られてしまったのです。
何にこんなにお金を使っているのか。
これから生活できなくなる。
など言われましたが
正直自分で稼いだお金なのに怒られる言われはないと思っていました。
ですが
子供の将来を心配して言ってきている事はわかっており
自分でもお金を使い過ぎていることは分かっていました。
確かに親の言う事はもっともだし
もうパチンコをやめよう。
そう思い部屋に帰ったのですが
その日の夕方にはパチンコ屋に居ました。
良くないなー。
わかってるなら控えなよー。
もう完全に依存症だね。
ただこの頃は依存症になったばかりで
依存度がかなり高かったから、
今思うとこの頃に誰になんて言われようと
やめようとは思わなかったと思うよ。
自分で思ってもクズな行動だなとは思うのですが
どうしてもパチンコをしていないと落ち着かなかったのを覚えています。
この時に自分はパチンコ依存症なんじゃないか?
と自覚がでてきたのです。
この時にやめられていれば
苦しむこともなかったんだけどなあ。
どうしても勝った時の事を思い出して
居ても立っても居られなくなるんだよね。
こわぁ。
鬱病と逃げ道
もう一つ完全に依存症だと自覚した出来事が
当時付き合っていた彼女が自殺した時でした。
彼女が看護師の勉強をする為に地元に帰っており遠距離になっていましたが
学校を卒業したら結婚する約束もしていました。
この後から少し塞ぎ気味になってしまい
軽い鬱病の診断をされました。
ええっ!?。
あの時はどうやって後を追うかしか考えてなかったよ。
ですが依存症は本当に怖い病気で
この気持ちが沈んでいる時にもパチンコには行っていました。
ただ、正直この時はパチンコに救われたと言っていいのかもしれません。
取り敢えずパチンコに行く事でその時だけは楽しみを感じられる事ができ
心の辛さを少しし忘れる事ができたのです。
時間が経つにつれて次第に心は落ち着いてきましたが
自分はもうパチンコをやめることはできないと自覚した時期でもありました。
この頃にパチスロで2度ほど出玉万枚を達成しており
一日で20万円以上勝ちを体験したのも原因で
もうやめられないと自覚した理由になります。
一日で1か月の給料分を…。
トータルで見たら
それ以上に負けてるから意味はないよ。
パチンコをやめようと思ったきっかけ
月日が流れて結婚し
子供も2人できましたが子育ての合間にも暇があればパチンコに行っていました。
時々しか行かないといっても
パチンコに行っているとお金のやりくりは厳しくなります。
ただ
お金より問題だったのは
好きにパチンコ屋に行けなくなってしまった為におこる禁断症状でした。
子供が早く寝ればパチンコ行けるという日があると
寝ようとしないと子供にイラついてしまう。
どうにかして時間を作れないかと考えてしまう。
これでは子供のためにもよくない
自分もダメになってしまう
そう考え
やめることを決意しました。
今は大分気持ち的に落ち着いてきたよ。
やっぱり禁断症状が出るんだね。
もしパチンコをやめる際の
禁断症状と離脱症状に興味があるようでしたら
パチンコの禁断症状はいつまで続く?の記事も見てみてください。
同時にこの頃からダーツを始めたのですが
今までパチンコをやっていた時間をダーツにあてていたら今どうなっていたんだろう?。
もしかしたらすでにプロになれていたかもしれない。
今からでも遅くない
やめよう。
そう考え
やめる方法を模索し始め、今に至ります。
ちなみに最後に打ったのはボンバーガールというスロットで
このプロフィールを書いている現在も稼働している台です。
スリップしなかったの?。
今のやめ方にたどりつくまでは
何回スリップしたかわからないよ。
ダーツとの出会い
職場の後輩が
ダーツのプロを取ってススメてきたんだ。
夜勤中にススメられて
その場でダーツボードをAmazonで購入しました。(笑)
決断はやっ!
自分でも気が付いてなかったんだけど、
ずっと何か形に残る趣味を探していたんだと思うんだ。
ゲームは好きだったけど上手くなっても何も残らないって考えたら
いつからか熱中できなくなってきて
何かないかな?。
ってずっと考えていたからね。
ダーツのことを詳しくを知ってすぐに始めようと思ったんだ。
ダーツって面白いの?
めっちゃ面白いです。
皆さんもダーツを始めてネット対戦一緒にしましょう。
僕はパチンコ依存症の人は皆ダーツをやればいいと思っています。
もし興味がある人はパチンコをやめて皆ダーツを始めればいいの記事も見ていただけたらと思います。
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